体現

1月7日、上井草グラウンド。10時30分から約2時間、今年度最後の練習を終えて大田尾竜彦監督、主力選手がメディアに囲まれます。

「(この後のジャージプレゼンテーションで)自分たちの今年1年間の歩みに自信を持ってほしいと伝えたいと思います。自分達より大きくて強い相手に対して、どういうラグビーだったら勝利を収めるかを考えてやっていますし、そのための戦略、戦術も落とし込んできました。決勝でその力を発揮できればいいと思います。」(大田尾竜彦監督)

試合のポイントについて、相手の圧力に対して接点で引かない事が一番大事になると指揮官が話せば、相良昌彦主将も口を揃えます。

「帝京は大きくて速い選手が多いのでそこで引いてしまうとどうしても立て直そうとした時に肉体的にも精神的にもきてしまう。接点で食い込ませない…ゲインラインバトルで戦い続けることを明日はポイントにしていきたいです。特に本橋選手と江良選手が(帝京の試合を)見ている感じボールキャリーする回数が多いのでプレッシャーをかけて中でダブルタックルで止めたいです。」(相良昌彦主将)

仮想帝京を務めたBチームのHO、LOにピンク色のビブスを着せ、相手選手の名前をコールし続けて、徹底マークを意識付けます。そしてもう一つ指揮官が重要と語るのは「敵陣にキックでいけるか」。

「自分たちがプレーするべきは帝京さんの陣内。対抗戦では自陣からの脱出でエラーを起こしたのでああいう戦いは避けたい。」(大田尾竜彦監督)

ゲームマネジメントのキーマン吉村紘副将は今週キックでのエリア獲得に時間をかけて練習してきたと話します。

「再獲得を狙うキックと、長いボールを蹴って相手に渡してディフェンスからこちらがスタートするキック。大切なのはワセダがそのキックを蹴る事を意思統一してプレーできているかどうか。こういうエリアでは再獲得、こういうエリアでは長いキック…意思統一する部分は今週時間をかけてやってきたのでそこは相手にプレッシャーかけられるんじゃないかと思います。」(吉村紘副将)

2か月前の対抗戦・帝京戦での完敗後に行われたAチームのFWミーティング、「思ったことを言い合った」と振り返るのはチームを裏方でサポートする鏡鈴之介副将。

「(そこまでは発言に)気を遣っていた選手が思いを伝えていました。佐藤健次や前田とか、もともと発言力や影響力の強い選手がもっといい引っ張り方が出来るようなきっかけにもなりました。有意義な時間でした。」(鏡鈴之介副将)

そこからコミュニケーションの密度が濃くなり、チームは一気に上昇曲線。相良主将が離脱している期間もチームの中心に居た吉村副将は成長の理由を明かします。

「ひとりひとりが対抗戦に負けてこのままじゃいけないという危機感を持ったのが一つ、東洋戦や明治戦と勝ち進むにつれて自信がついたのが一つ。その二つがポイントかなと思います。その中で、チームに対して春シーズンの時よりもみんなが関心を持つようになった。そのことでみんなの横の繋がりが強くなって選手主体のミーティングも増えましたし、寮の中でも選手だけの時間が増えていったかなと思います。ここまで(部内の)競争もありますし、結果が伴わない時期もあった。でも、それがあったから強くまとまれました。(影響力の強い)そういった選手たちがチームファーストの行動、発言をするようになっていますし、思ったことを言いやすい環境になりました。お互いがお互いをリスペクトしあう関係性…今いいチームになっていると思います。」(吉村紘副将)

Aチームだけでなく、下のチームも含めて部が一丸になったのは昨年12月18日の4年早明戦(八幡山)、圧倒的な戦力差がある中で下のチームの4年生がそれぞれの生き様を見せた一戦。

「(チームの結束に)一番影響力が強かった試合じゃないかなと思います。下のカテゴリの4年生があそこまで思いをむき出しにしてやっている姿が胸を打ちましたし、感動しました。」(鏡鈴之介副将)

様々な過程を経ての決勝前日、150人の大きな輪の中で出場選手がそれぞれ決意表明。「大好きな4年生の為に絶対にかちます!」と下級生が叫べば、「後輩のみんなに日本一の景色を見せる」と4年生が誓いを立てます。

帝京との決勝戦は2013年度以来。垣永主将、金正奎副将以下、布巻選手、小倉選手、藤田選手、佐藤(穣)選手(現コーチ)とタレント揃いのアカクロジャージの決勝戦をテレビで見て、ワセダを志したのが当時中学1年生の相良昌彦主将。

「体では劣る相手に対して、色々考えてスキルでどうにかしようというのが格好良くて、その試合を見て絶対ワセダと思いました。両CTB(坪郷選手、飯野選手)は小さかったのにデカいFWに対して刺さりまくっていたし、両FL(金正奎選手、布巻選手)がファイトしているところをみてカッコイイなと。」(相良昌彦主将)

吉村紘副将も2007年度の五郎丸選手らの”荒ぶる”を見てアカクロジャージに憧れを持ったと続けます。

「僕がワセダを志したのはテレビでワセダが優勝した瞬間を見たのがきっかけです。6、7歳の頃でした。そういったいい影響を与えられるような試合にしたい。勝ちたいですね。」(吉村紘副将)

150人の部員を思いを背負い、子供の頃に見た憧れのワセダの体現を誓います。【鳥越裕貴】



全体練習の最後、全部員を前に出場選手が決意表明。最後に相良昌彦主将は「早実に入ったのもワセダで日本一になるため。父がキャプテンの時に果たせなかったその時の借りを返します。本当はグラウンドで一緒に戦いたかった(鏡)鈴之介の分まで体を張って日本一になります!」

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