主将

2月5日、大学キャンパスで行われた予餞会。150人の大所帯、注目されるチームの主将として最後の務めを終えた相良昌彦主将が清々しい表情を見せます。

「ワセダとしての役目を全部終えて、すっきりした感じがします。はい。」

予餞会では4年生ひとりひとりが挨拶、最後に壇上に立った相良主将は感謝の気持ちとともに決勝・帝京戦から感じた事を後輩たちへ。帝京を基準に「明日からでもベースを磨いてほしい」とエールを送ります。

「今年はベースを作った方だと思ったのですけど、それでも足りなかった…。1年間で彼らのベースに追いつけるかどうかわからないのですけど、できるだけ近づいて、他のスキルの部分とかで差をつけていくしかないと思います。時間のある春、夏に妥協せずやれることをやってほしいです。」

早実時代に主将として79大会ぶりの花園出場、ワセダでは1年生時からレギュラーポジションを掴み取り、11年ぶりの『荒ぶる』にも貢献。順風満帆の学生ラグビー生活、それでも昨年度、大学3年生のシーズンは苦しかったと振り返ります。

「1年生の時が良かった分、そこからの成長があまりなかった…」

試合のスタッツは他のプレーヤーと比べてもむしろ良いくらい、それでもコーチ陣の求める更に上のレベルには到達できずに、グラウンド上で他の部員の前で注意をされる事も。

「『体を当てろ!』『お前が引っ張らないとダメだ!』…と、とにかく言われ続けました…。自分では一生懸命やっているつもりだったのですけど、それでも足りない、上手くいかない…どうしたらよいか分からない時期でした。」

肩の怪我も重なり、満足いくパフォーマンスが出せないままに3年生のシーズンを終えます。迎えたラストイヤーは主将に就任、プレーで示さなければならない、グラウンドに立ち続けなければならないと責任感からこれまで以上にラグビーに打ち込み、輝きを取り戻します。

「前よりトレーニングをするようになりました。エキストラの時間にやったり、映像をこれまで以上に見返したり、パフォーマンスを上げられたかな…やりきれたと思います。」

自身に厳しくあるとともに、『Tough Choice』『1000分の1の拘り』という言葉を掲げて春夏はチームに対しても厳しさを求めます。

「春の時点でベースを築いていかないといけないとずっと思っていたので、とにかくスキルに対しても、そうじゃない部分に対しても厳しくやっていた。ただ、みんな委縮したり、コミットできない部分もあった時期でした。」

その様子を近くで見ていた鏡鈴之介副将、川下凛太郎主務は、時に相談相手になりながらその考えを支持します。

「言葉足らずの時もあるのですけど、結果が出ない時期とかチームの雰囲気が悪かったりした時も、歴代の主将の中でも一番チームの事を考えていたと思います。」(鏡鈴之介副将)

「『Tough Choice』というスローガンを掲げて、あいつも言いたくない事を言っていたかもしれないです。器用な人間ではないですし、良くも悪くも思ったことしか口に出さない…でもそれが今年のチームには必要な事だったと思います。」(川下凛太郎主務)

シーズン終盤にはただ厳しく言うだけでは、チームは動かない事を学び、相手の性格に応じて柔らかく言葉を伝えたり、コミュニケーションの幅も広がって人間的に成長、考えに考え抜いた時間が大きいと振り返ります。

「これまでは事前に用意した事をそのまま伝えよう、喋ろうとしていたのが良くなかったです。自分の中で考えた故にかみ砕けるようになったら、言葉がすらすら出てくるようになりました。自分自身で心底思っているから、アドリブでも言葉が出てくる、自分の言葉にできるようになってきました。」

自分の考えを整理し、自分の言葉に責任を持つことが1年間で一番伸びた部分だと笑顔を見せます。最後にこの1年間で一番うれしかったことを聞くと間髪入れずに返ってきたのは大学選手権準々決勝・明治戦。

「リベンジ出来た瞬間。昨年、出来なかった年越し、超えられなかった相手だったりしたので…去年の先輩を尊敬していた分、やり返したい気持ちが高かった。それが達成できたのが嬉しかったですね。」

試合後の挨拶や記者会見を終えて、ロッカールームで着替えを済ませてスマートフォンを開くと、目に飛び込んできたのは二人の先輩からのメッセージ。

「(小林)賢太さんと長田さんから『ありがとう』と。(二人とも)試合が終わった瞬間に送ってくれたのだと思います。スマホの中で同じ文字が二つ並んでいました。」

絵文字など飾り気も全くない、二つの5文字のメッセージがたまらなく嬉しかったと思い出し、少し目を潤ませます。その後、チームを決勝の舞台まで導きながらも『荒ぶる』にはあと一つ届かず。届かなかった思いを後輩に託し、今度は自分が感謝の思いを伝えたいと強く願います。【鳥越裕貴】



下級生時は監督として、上級生になってからはスタッフとして4年間をともにした父・南海夫さんと。卒業後はリーグワン・東京サンゴリアスへ。
「スタンダードが高くて、苦手なことがあるというプレーヤーが少ないチーム。同じポジションの選手を見ても、走れてディフェンスできてアタックできて…。他の人と比べて突き抜けている部分、強みを磨いて、他の人ではできないプレーができるように努力したいと思います。」

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